いつかは終わってしまう人生なのに、私たちはなぜ生まれてきたのでしょうか?
“太陽はいつかとてつもなく膨張して爆発するんだって。
その時に、今のように地球が存在していても結局は全て滅んでしまう。
なぜ、神様は命を創ったのだろうね?
失われるのに”
遠い昔、ふと、母がぽつりとつぶいやいた疑問でした。
「終わる」ではなく、「変化」という概念で捉え直す
生まれてきた理由も、生きる目的も、どんなに探しても見つからないことは誰もが知っています。
そして、この世にあるすべてのものは形を変え、変化することも誰もが知っています。
変化について、ゲーテの詩【水の上の霊の歌】より一部抜粋しご紹介しましょう。
人の心は水にも似たるかな。
天より来たりて天に昇り、また下りては地にかえり、
永劫につきぬめぐりかな。ゲーテ
─ワイマルに入りて(1775年~86年)─
ゲーテ詩集 新潮文庫 高橋健二訳より
全文はこちら→ゲーテの詩【水の上の霊の歌】─死は終わりではなく、 死を含めてこその“命”であり、命はめぐるという優しいメッセージ
結局は終わるのに
ここにフォーカスを合わせてしまうと感受性が豊かで繊細なタイプの方はときに虚無感に襲われてしまうでしょう。
私たちは『終わり』という節目を毎日、毎年繰り返しています。
一日が終わり、朝が来てまた一日が始まります。
繰り返しのようでいて、二度とない新しい一日を迎えます。
私たちは、肉体を持つ前は「光り」そのものだったそうです。
統合と寛容そのものでした。
肉体を持つということは、個としての経験を得るために分離し、個でありながらシェアし合う体験を獲得するということなのです。
→詳細:過去記事「分離と統合について/それらが私自身であるならば、戦争や貧困もまた私自身という事になりませんか?」
私たちは直接的に命のリレーをせずとも、生きている限り必ず間接的に命を紡いでいます。木や草花が結んだ種を、風や鳥が運ぶのと同じように。
あなたのさりげない一言が誰かを救うことがあります。それは誰かの命になります。
あなたが努力している姿に勇気づけられる人がいます。それが誰かの命になります。
直接的な命のリレーでなくても、あなたが自分の人生を懸命に誠実に生きている、それがエネルギーの変化とリレーになるのです。
雨が川になり、川は海になり、海の水は蒸発して雲になり、山の尾根で雨となり、そして川になるのと同じように。
自分が生きる目的を、いつまでも他人頼みにしない
もし、今、あなたが小さな幸せを感じたり見つけたりすることが困難な状況ならば、人生の休息が必要です。
環境、場所、習慣、見方を変えた方がよいのです。
あなたが幸せを感じることができれば、あなたという領域を満たし、あなたという領域からはみ出していきます。
子、パートナー、友人……あなたの周囲の人を幸せにしたいと思うとき、まず、あなたが幸せを感じられるようにするのが近道です。
確かに、家族のために尽力しなければならないときもあるでしょう。でも、あなたを犠牲にして成り立つ幸せは、そう長くは持ち堪えません。残念だけど……虐待を受けて育った私、母の犠牲を見て育った私はそう思います。
私たちはなんのために、なぜ生まれてきたのか。
まさに、それを一生をかけて創っていくのでしょう。
その創作自体が、生まれてきた目的なのだと思うのです。