平城宮跡で子どもが見たのは井戸の神様?井戸の精霊?

今から1300年前に日本の首都だった平城京

その平城宮跡で子どもが2歳の時に見た、ちょっとファンタジーな存在のことを書きます。

空も広い平城宮跡

空も敷地も広~い平城宮跡、歩くのもなかなか大変です

1300年前の首都・平城京

少しだけ平城京の説明をしましょう。

「古都」と言えば、京都平安京が真っ先に思い浮かぶ人が多いと思います。

では、平安京の前にあった都(みやこ)はどこでしょうか?

奈良にある平城京(へいじょうきょう)!……かと思いきや、長岡京(京都)なんですね。どこからどこへ遷都していったのかカンタンに確認してみましょう。

◇ 藤原京 (ふじわらきょう|奈良・694年~710年)

◇ 平城京 (へいじょうきょう、へいぜいきょう|奈良・710年~あちこち行くけど784年まで)

◇ 恭仁京 (くにきょう|京都・740年~743年)

◇ 紫香楽宮 (しがらきのみや|滋賀・743年~744年)

◇ 難波京 (なにわきょう|大阪・744年~745年)

◇ 長岡京 (ながおかきょう|京都・784年~794年)

◇ 平安京 (へいあんきょう|京都・794年~いろいろあるんだけど1868年まで)

個人宅の引っ越しですら大変だと言うのに、遷都を繰り返すのはさぞや労力とコストの要ることだったろうと思います。

【参照】※ウィキペディア・日本の首都 ←ページの下に遷都の表があります。

捨てられた都は完ッ全に忘れ去られ、場所の特定もできなかった!

奈良市にある平城宮跡(へいじょうきゅうせき)を訪れると、朱雀門(すざくもん)第一次大極殿(だいごくでん)などが復原されており、重厚な存在感を示しています。

平城宮跡・第一大極殿前で天平衣装

平城宮跡・第一大極殿と天平衣装


が、しかし。

都が捨てられた後は荒れに荒れて荒れ放題、その後はずーっと田畑でした。

平城宮跡のどまんなかを近鉄奈良線が横断していることには驚きましたが、江戸時代のおわりまで本ッ当~に忘れ去られていたようです。ウィキペディアによると大正3年(1914年)に「上本町駅 – 奈良駅開業」と書いてあるので、その時に平城京跡に線路が通ったということでしょう。

明治になってから少しづつ、保存のための動きが始まりました。

棚田 嘉十郎(たなだ かじゅうろう)という植木職人、つまり、ごく普通の市民が私財をなげうって保存に尽力されたそうです。

今の立派な平城宮跡以前の平城宮跡は、線路が通っている以外はなにもない、ただひたすら広い草っぱら・野原でした。

今でもそうですが、平城宮跡に立つと東には若草山が見え、西には生駒山が見えます。奈良の空は広いとつくづく感じる瞬間です。

平城宮跡から若草山

平城宮跡から若草山がよく見えます。のどかで良い景色です。

国営公園として本格整備が始まった平城京跡

そんな、どこか牧歌的でありつつ寂寥感も漂わせていた平城京跡ですが、ここ近年は国営歴史公園として整備が進み、2018年の3月に朱雀門ひろばが開園しました。

平城宮跡を横断している線路も、ゆくゆくは移設する?ようです。

【参照】

●平城宮跡の歴史と保存について、Kodayanさんという方のHPより「5月初めのゴールデンウィーク、奈良・平城宮跡北側の佐保・佐紀路を歩く

●棚田 嘉十郎について、奈良文化財研究所HPより「青年の志―平城宮跡を守った男達

●近鉄奈良線について、ウィキペディア・近鉄奈良線ページ

儀式用の酒の醸造に用いた特殊な井戸の遺構

さて、そんな平城宮跡へ息子(当時2歳)と散歩に行った時のこと。

息子と四葉のクローバーを探しながら犬のウンコをまたいで歩いていました。(フン慨ですな)

あそこに見える現代建築な東屋で涼もうかと近づいてみると、それは東屋ではありませんでした。何かの史跡らしい……と思い一周してみると、どうやら井戸の遺構らしいと判りました。

平城宮跡の東にある六角形屋根の建物

平城宮跡の東にある六角形屋根の建物。遠くから見ると東屋に見えるんです。

井戸の遺構

言われてみれば井戸に見えますが、知らないとわかりません。

第一次大極殿より東へ1キロメートルほどの位置にある、造酒司(みきのつかさ)井戸跡です。

説明の看板を読むと、

平城宮にはここで使う酒や酢を製造した、造酒司(ぞうしゅし)という役所があった。ここからは、醸造用の水を汲んだ井戸がいくつか見つかっている。この井戸はそのうちの一つで、杉の大木をくり抜いた直径140cmの井筒を中心にして、円形に川原石を敷き、周囲に石を組んだ溝をめぐらせ、六角形の屋根をかけていた。このような立派な構造をもつことから、儀式用の酒の醸造に用いた特殊な井戸と考えられる。
遺構は盛土して保護し、その上に型取りした井戸の移行模型を展示している。

井戸の説明

井戸の説明。特殊な井戸だったのではないか、とのこと。

ふむふむ。

六角形というと、亀の甲羅のカタチに似ていることから縁起が良い、などと言います。

映画「ダ・ヴィンチコード」をご覧になった方ですと、「三角形と逆三角形が合体して陰と陽の調和」なんていう連想をされる方もいらっしゃるかもしれません。

井戸の屋根が六角形

井戸の屋根が六角形

そういえば、随分前に元伊勢神社の籠神社(このじんじゃ)とその奥宮である真名井神社(まないじんじゃ・籠神社奥宮真名井神社)を訪れた際にも、六芒星=籠目(かごめ)の不思議に惹かれたのを思い出します。籠神社のご神紋(社紋)のひとつが六芒星でした。

星マークといえば、伊勢神宮や鞍馬寺を連想される方もいらっしゃるのではないでしょうか。

2歳の子どもが井戸で見たのは神様?

儀式用のお酒を造るための井戸らしいということですから、枯れては困りますし、穢れてはなりません。

枯れないためのまじないや、穢れないための魔除けのような意味合いが六角形の屋根にあったのだと思いますが、実際のところはどうだったのでしょう。

さて。

写真の通り、ここが井戸の遺構だとはそうそうすぐにはわかりません。

私が案内看板を呼んでいると、2歳の息子がふとこう言ったのです。

ジンジャ、ねんね。

おーぃ、ジンジャ、おきて~!

息子は、乳児のころから神社参拝に付き合わされていたためか、この時すでに「ジンジャ」という概念がありました。

ただ、神社でなくても、古い日本家屋やお寺を見かけると「ジンジャ」と言い、なぜか、うどん屋さんの大黒様の置物も「ジンジャ」と呼びました。もし、解って言っているならすごいことです。だって、大黒様=オオクニヌシ(神様)ですから!

「神様がねんねしているの?」と息子に尋ねると、自信満々に「うん^^ねんね。おきてー!」と井戸に向かって声を上げる息子。

慌てて、子どもに「しーーー!」と諭しました。

もし、本当に何か不思議な存在を感じているのであれば、おそらく、たぶん、起こしたらダメな……ほら……ねぇ?

建物は一見、現代建築な東屋ですし、遺構そのものも石が並んでいるようにしか見えません。

息子はどうしてここを「ジンジャ」と言ったのか。
どうして「ジンジャ(神様)が寝ている」と言ったのか。

2歳児には、1300年前に現役バリバリでご活躍された井戸の神様が、今では土の下でお休みになられているように見えたのでしょうか。

その後、息子は4歳半を過ぎた頃から見えなくなりました。心霊写真(怖いのではなく、光の帯が写っている系)も撮れなくなりました。

4歳半までは、

●病院の待合室で「あの子、だぁれ?」←ジーサンバーサンばかりで子どもは一人もいない

●胎内記憶を話してくれ、絵を描いてくれた

ということがあったのですが、ぱったりとなくなりました。

【平城宮跡について参照HP】

平城宮跡歴史公園HP●国土交通省 近畿地方整備局 国営飛鳥歴史公園事務所 平城分室「国営平城宮跡歴史公園とは?」●ウィキペディア・平城宮