“みんな仲良く”を目標にしない

春と言えば新生活の始まり。

新しい職場、学校、住まいなど、慣れない環境に緊張感や不安感を抱えてしまう人のほうが多いんじゃないでしょうか。

できるだけ印象を良くして、仲良くするぞ!
認めてもらえるように頑張らなきゃ

こんなふうに力んで失敗した経験から、私が目指すようになったのは……

1.いきなりはじめから「仲良くする」を目標にすると疲れるので、ふつうに礼儀正しい人を目指す

2.挨拶だけはちゃんできるようにがんばる(おはよう、ありがとう、ごめんなさい)

3.自分のプライベートな話しはちょっと待つ!

4.やたらと親切な人には注意が必要かも…

「みんなと仲良くしなければ」を、いっそ捨てる

そもそも、もういい加減やめてほしいんですよ!

「みんな仲良く」「友だちは多い方がいい」という洗脳を。

無理なんです。ムリ。幻想。理想。

子どもだって、そんなのムリだと解っていながら大人の茶番に付き合っているんです。こんな上っ面のきれい事を大人が押しつけるのが悪い。

大人社会だって、職員室だって、ママ友だって「みんな仲良く」できていないです。

たぶん、目指すのは、「人のこと(見た目や環境など)にあれこれ口出ししない」「仲良くできない人をわざわざいじめるような意地悪をしない」というところ。

あ、当たり前のことだけど…(汗)

仲良くできない人や価値観の違う人に、自分の要求をどう伝えるか?

それはヤダ、ムリという要求をされたらどう反応したらいい?

アッサリとした(上手な)Noの言い方と、Noの受け止め方とは?

相手の顔を立てつつ物事を解決することは可能か?

尊厳・権利・生命・財産を守るためにはケンカしなければいけない時もある

こんなことを教育現場で議論する機会があってもいいと思うんです。

まぁ、実際、大人になると知り合いは多いほうがなにかと良いのはありますよね。

とぶっちゃけたところで、話しを戻しまして……

「頑張って好かれよう」「良いところを見せなきゃ」という言動は、長続きしないんですよね。やっぱり、疲れちゃうので。

帰宅して発熱したり、頭痛おこしたり、今でもあります。

ムリせずとも理解し合える人や、あなたをちゃんと見ている人もいますよ

人との距離の取り方が上手だなぁという人を見ていると…

「仲良くする」「好かれよう」を目的にしていない。「人として、無礼・失礼な態度を取らない」ことを大事にしている。

(だがしかし、相手が失礼な人だと判断するやいなや心の距離を取っている)

「仲良く」を意識しすぎると自分を抑圧したり、自己犠牲的になったり、依存したり、上っ面ばかり取り繕ったり……結果的に「仲良く」から遠ざかってしまうんですよね。

サービス精神が旺盛な人っていると思うんですが、これも無理に自分を犠牲にしてまで笑いを取らなくていいです。

ベストは尽くしてもいいけど、心のどこかにモヤりが生じているのなら自己犠牲かもしれません。

ベストを尽くすことと、自己犠牲的になることはまったくの別です。

ベストを尽くす=達成感
自己犠牲=搾取された感じ、疲労、虚しさ

やけに親切な人には注意

やたらと親切な人には注意しましょうね。

モラハラ被害者は口を揃えてこう言います。「はじめはとても親切で、すぐに仲良くなりました」と。

「俺になんでも任せておけ」「あなたの家族だと思って頼ってね」などという言葉を知り合ってごく初期段階で言う人ほど、距離の取り方を考えたほうがいいです、経験上。

仕事絡みなら、「一緒になんか面白いことしましょう」「あなたの人柄を見込んでぜひ」「一緒にデカいことしましょう」「すげー人たちも来るんで」等の言葉を多用する人と仕事をする時はメールで証拠を残す、契約書を交わす、第三者の立ち会いなどを入れるなど、念のための自衛を。

おまけ

猫会議に集まっている猫たちが、互いに適度な距離を取って座っているのを見かけたことはありませんか。

無用なケンカを避ける知恵が「物理的に近寄らない」……これ以上にシンプルな方法はありませんね。