得意分野や適職ってなんなのかを改めて考える

そもそも【適職】【得意分野】ってなんなんだろうと。生産性ってなんなんだろうと。

そんなわけで、組織や集団の中における各人の役割について考えてみることにしました。

自分の得意分野を改めて考える

パイナップルやバナナに向かって「なぜ、ロシアや北海道で自生・繁殖できないのか?根性で実を成らせろ!」と言う人はいません。

「熱帯のフルーツを極寒の地で栽培したい!」そんな試みを実践されている方もいますが、やはり工夫が必要です。

易々と自然に行えるというのは、つまり得意分野なんだと思うんです。

得意分野というものを考えるときに、なんとなく連想してしまうのが縄文時代縄文人です。

過酷な状況下で生きていた縄文人は「各人の得意分野」で勝負していたのではないかと、私は密かに思っています。

縄文人の集落における危機管理

縄文土器。

ダイナミックな躍動感にあふれながらも細微まで手を抜いていない表現に魅入ってしまいます。

火や水を表現している装飾には、まじないや願いが込められているのでしょう。一説によると、火(カ)と水(ミ)が神の語源らしいです。

その凝った作りを見ていると、「これを作った人は土器作りが相当、好きだったに違いない!」と思いませんか?


縄文土器ガイドブック―縄文土器の世界

「私は土器をつくるのが得意だ。火の調節も、土器に適した土も判る」
「私は走るのが早いし、目が良い。鳥を射ることや魚を突くことが上手だ」
「私は器用だ。矢尻、縄、棒、石器、なんでも作ってあげよう」

各々の得意分野を活かした方が要領よく食料ゲットできる気がしませんか?

「男は狩に行くべきだ。男だから戦うべきだ」という発想で狩りに行っても、狩りに関連する能力が低い者ならば怪我をしたり獣に襲われるリスクは高まり、それは集落の危機に直結したでしょう。

キノコや薬草に対する知識や観察眼、注意意識の低い者が、「だいじょーぶ、だいじょーぶ!ヨユーだよ!」と毒キノコや毒草を採取して来たら集落全員の命が危ないですよね。

集落の全滅を避けるための「危機管理」として、各人の得意分野や適性を判断していたのではないかと、私は想像するのです。

実際はどうだったかはわかりませんが、私ならば、きのこセンスのない者には任せません。死にたくないですから。

個人の特性を無視することは生産的ではない

集落全体の繁栄と維持を考えた時に、パイナップルやバナナを極寒の土地で栽培するような労力とコストをかけるでしょうか。

失敗した時に餓死するリスクを敢えて選ぶでしょうか。

却って危険だと判断する方が生産的だと思うんですよね~

もちろん、氷河期や戦闘などの危機が起こってしまったら事情は変わるでしょう。

縄文時代が終わってから2300年ほど経った現代。

男児に対しては、「男の子なのに虫が怖いの?外で元気に遊びなさい」
女性には、「女の子はお料理上手になって男の子の胃袋を掴まなきゃ」

この考えは、個人の特性を完全に無視していますよね。ほんと、なんで性別だけでここまで押し付けられなきゃならんのか。

この骨は俺が立派な釣り針と矢尻とにするぜ!

経済的活動と自立するということ

全ての人が、経済に直結した思考と行動をもって生活できるかというと、そうではありません。

なかには、表現者として生きることにしか情熱を持てない人もいます。

哲学的な生き方しかできない人もいます。

自立という言葉は「自分を自分で食べさせる」、あるいは「自分を食べさせてくれる人を支える」ことを指すケースが多く、つまり、【経済的な活動=自立】ということになっています。

それこそ自分が農家になるという自立を目指す人、会社に就職することや自営業でお金を稼ぐ人も、また、結婚し家庭を守る役割を担う人、それぞれの「経済的な活動」があります。当然、就職することには「自分を食べさせてくれる人を支える」という意味合いもあります。

となると、現代社会では、「金銭を得る」ことに直結しない活動をする人は自立していないことになってしまいます。

経済と無縁な命式

四柱推命だけでなく、西洋占星術でもそうなのだと思いますが、多くの命式を見ているとどうしても経済的な活動と無縁な命式に出会うことがあります。

経済活動が不得手だとしても、【自己満足】と【他者への貢献】、この両軸は必要ですよね。

比重が偏るのはいいとして、【自己満足】だけでは生活できないし、【他者への貢献】だけでは自分の心が病んでしまいます。

【自己満足】で行っていることも、誰かがそれを必要としたり、望んだりすれば経済活動に発展する可能性もあります。

だから、自分がやっていることをSNSなどで発表してみて、反応や反響を参考にブラッシュアップしていくことはとても意味のあることだと思います。

パイナップルやバナナは熱帯だからこそ易々と繁殖・栽培できますが、それだってもちろん放置しているわけではありません。害虫や病気、獣、天候などから守るために人の手をかけてやらねばならないことは山ほどあります。

もし、北国の極寒の地でパイナップルやバナナ、マンゴーを栽培することができたら、その地ではひと際目立つ存在になれますね。

必要に迫られたからこそ開花する能力もあれば、自然に勝手にできている“得意”をより伸ばすべく頑張るときだってあります。

自分に、もっと手をかけてあげたいと思うこの頃です。