私は機能不全家庭で育ちました。虐待され、命としては生き延びたのですが、生き延びるために精神を騙したり、認知に歪みが生じたりしました。
そのため生きづらさが膨れ上がり、30代前半に決定的な出来事が起こりました。
その起きた出来事のおかげで劇的に変わった私の人生ですが、その“きっかけ”はふたつあります。
①ヒプノセラピーを受けたこと
②AD(アダルトチルドレン)またはインナーチャイルドへの理解
とはいえ、セラピーを受ける前は「セラピーなんて……」と胡散臭く思っていました。
AD(アダルトチルドレン)、インナーチャイルドとは
私は“安心感”というものからあまりにもほど遠いこども時代を過ごしました。
小学生の弟が家に灯油をまいて心中を試みるほどだったのです。
大人になって家を出た私は、幼少期から青年期を「辛かったが過ぎ去った」「乗り越えた過去」のつもりでいましたが、実は日常生活(主に恋愛や会社などの対人関係)に問題を抱えていたのです。
「何かがおかしい、どうにも生きづらい」と、うすうす気づいていたのですが思い出すのも嫌な過去でしたし、本人は「乗り越えた」つもりでいたので、いまだに大きな傷から血を流している自覚がなかったのです。
やがて、「問題」は大きく膨張し「言いようのない生き辛さ」が増していきます。
当時は気にもとめなかったのですが、いわゆるAD(アダルトチルドレン)、インナーチャイルドと言われるものでした。
私は、AD(アダルトチルドレン)、インナーチャイルドのことを傷害を負わされた自尊心と表現しています。
ヒプノセラピーを受けるまでの経緯
その後、いくつかの転機が訪れます。
母が血まみれになって逃げたのは私が小学生のとき。父に引取られましたが案の定父からの暴力は増し、父方からの親族からの虐待も加わり、ひたすらに生き地獄でした。
私が高校生のときに父が大きな問題を起こしたため、母とこっそり連絡を取り合うようになります。大人になってからの短い間、生活を共にした期間もありました。
当時は「母も犠牲者」というイメージが強かったために母を美化していましたが、今思えば母の逃げの姿勢にも大きな問題があったことに間違いはありません。
大人になって、母と私は表面上は友人のような関係でした。
そして、20代後半のとき。母は癌闘病の末に他界しました。
私はとうとう、母親に存分に甘えるという経験がないまま大人になりました。
家を出た後、金銭面や対人関係の苦しみが増え、泥水の中を這うような時期が目立つようになります。
恋愛でも苦しみを繰り返し、「育った環境も酷かったし、もともと私は結婚には向いていないんだ」と心を閉ざすようになりました。
仕事にすがるようになり、「毎日を一生懸命に生きていれば、いつか報われる」と藻掻く日々が続きました。
そして、ある日。
心底から「もうこんな人生は嫌だ!」と痛感する決定的な出来事が起こりました。
最後の砦だった仕事での出世の望みを失い、結婚も仕事もお金もキャリアも何もないと悲観した私はお世話になっていた占い師兼セラピストさんのところへ向かいました。
そこで、その方の勧めにより「ヒプノセラピー」を受けることになったのです。
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ヒプノセラピーで観たビジョン
初めてのヒプノセラピーでしたが、すぐに催眠状態に入りました。
見えたビジョンは…真っ赤に燃え盛る実家。
地獄の業火に包まれた家。
真っ暗闇の中で、実家がゴウゴウと燃え、リビングの窓ガラスが熱で割れました。
「パリーン!」と凄まじい音をたてて割れたガラスから、燃え盛るカーテンが熱風で煽られています。
そのカーテンもやがて火の塊となりました。
私は、それを少し離れたところからジッと見ています。
自転車にまたがった状態で、中学校のジャージを着ています。
炎の赤い色に照らし出された顔を見ると……のっぺらぼうでした。
ここで、驚いた私は「わぁっ!」とサロンの床に崩れました。
その、のっぺらぼうはどこまでも無感情な“私”でした。
燃え盛る我が家を見ても、どうとも思っていないようです。
非常に不気味なビジョンで、ぶわーっと鳥肌が立ちました。
……そういえば、私は家に帰りたくなくて、そうやっていつまでもいつまでも……家を遠くからジッと見ていることがありました。
子どもの居場所なんて学校か家しかありませんから、やがて日が暮れて、体が冷えたころ諦めて我が家に帰る。
そんな日々でした。
「乗り越えた過去じゃなかった。私は…被害者だった…」
ヒプノセラピー中には、他にもいくつものビジョンを観ましたが、このビジョンが最も衝撃的でした。
もっと幼い私とも会いましたが、拒絶と怒りの感情しか感じとることができませんでした。
占い師の先生は「その子を抱きしめましょう」と言いましたが、恐ろしいほどの「拒絶のオーラ」でとてもそんな雰囲気にはなりませんでした。
「隣に座っても良い?」と聞くのが精いっぱいで、その問いにも無反応でした。
幼少期から思春期の記憶がリアルに蘇った私は、サロンの絨毯の上をゴロゴロと転がり、泣きながら床を叩き、泣き叫びました。
そんな私を先生は静かに黙って見守っていました。
初めてのセラピーが終わり、ヘトヘトに疲れ、放心状態で帰宅しました。
そして「気づいた」のです。
「乗り越えた過去じゃなかった。私は…被害者だった…」
次回に続きます。
【参考書籍】
↑この本を一番読み込みました。ワークについても書いてあります。
本来はグループで行うのが良いようですが、私は一人で行いました。
↑自分がされたことにわざと鈍感なり、傷に触れないようにすることは「自衛」のひとつだと思います。もし、一歩進もうと思う時が訪れたら読んでみてください。
また、自分の何気ない言動が「実はこれもモラハラだ」という気づきも得られました。