【アドラー心理学】「それはあなたの課題であって、私の課題ではない」と、割り切れますか?ぶった切れますか?

身近な人の問題を「私の課題ではない」と、割り切れますか?

「夫の●●(←悪癖、依存症など)に困ってしまって、疲れ果てています。でも、それは夫の課題であって私の課題ではないので、放っておくしかないですよね?」

アドラー心理学がポピュラーになったためか、セッションやメールでこのように質問されることがります。

結論から言えば、その通りです。

そうですが、

そんなに簡単に割り切れないからこその質問なんだと思います。

そんなに簡単にぶった切れないから苦しいのですよね。

家族といえども違う人生を生きる個ですから、他人です。

他人の人生のテーマを肩代わりすることはできないし、する必要もありません。

他人の課題を手伝ったり、誤魔化そうしたりすると、その課題は雪だるま式に大きくなり、やがて崩壊します。

例えば、私が父親に強烈な暴力を受けていた時、「それは父の課題である」ではまったく済まされなかったのです。

不倫と、経済DV・肉体DVにより心身ともに痛めつけられた母は、子どもが幼すぎるためになんとか夫婦(あるいは家庭)を存続しようとしていましたので、「それは私の課題ではない」と跳ね返すことができませんでした。

私に関して言えば、成人して家を出るまで、父の課題に付き合わされ続けたのです。

母は離婚の決意がつくまで、父の課題に振り回され続けました。

「私は嫌です。困ります。迷惑です。止めてください」と、自分の立場と意思を表明しなければならないとき

「離婚しないと共倒れになってしまう」ということが明白なとき。

パートナーの悪癖・依存症・中毒(借金、ギャンブル、不倫、嘘、暴力、飲酒、仕事に就かないなど)に疲労困憊している場合は、もう、離れるしかないと私は思います。

こちらの生命や財産、精神が脅かされている以上、見限るしかありません。

そこまで深刻ではなく我慢できる範疇の場合、「それはアナタの課題であって、私の課題ではない」と、割り切れるかというと、これはこれで勇気が要るでしょう。

その人と人生を歩む以上は、どうしても多少はお互いに干渉し合いますから、改善してほしいことは粘り強く訴えるべきと考えています。

つまり、

●こちらの話しを聞いてくれるか?
●きちんと耳と心を傾けてくれるか?
●勇気を出した訴えを無下にしないか?

ここがパートナーシップにはとても重要になってきます。

「相手の課題だから」と諦める前に、「それは嫌です。困ります。止めて欲しいのです」と相手にきちんと伝えなければなりません。

不思議なことに、これが苦手で避けていると相手を変えて同じテーマが訪れるのです。

住居の騒音問題やご近所トラブル、会社の人間関係、嫁姑問題などです。

労働基準監督署でも言われた「改善要求の意志表示をしてください」

労働基準監督署へ電話相談をしたときに言われた言葉なのですが、「まずは、“それは違法です。改善してください”と伝えてください。それでだめだったらまた電話してください」と。

私「そんなことを言ったら、ますます会社に居辛くなります」と返しましたら、

労「そんな会社にいたいのですか?」とキョトーンとした声を出されまして。

その時は「ここに就職するのも大変だったのに。転職活動がどれだけ大変だったか知らないからこんなことを言えるのだ」とかなりモヤモヤしたのですが、のちに(確かに……こんな会社に居続けたところで、なんになるのだろう)と、思い直したということがありました。

ともかく、改善要求の意志表示をすることが戦う前提だと言われまして、有給をきちんと消化することが目的なのか?残業代を支払ってもらう事か?私は具体的に何を改善要求したいのか?を冷静に考えたのです。

もし、会社がそれらについて改善する気がないなら、戦うのか?

感情をいったん箱にしまって、理性で考えたわけです。

そして戦ったのかというと、戦いませんでした。

結果的に「泣き寝入り」という形になりましたが、それで良かったのだと思います。

あの時は、離れることが最善だったからです。

もう社長の顔を見るだけで、声が聞こえるだけで、同じ苗字の漢字を見るだけで動悸がするほどでした。

感情と理性を分けて、それぞれの意見を聞く

「それは嫌です。困ります。迷惑です。止めて欲しいのです」と相手にきちんと伝えることが大事ですが、相手によってはそれが困難な場合もあります。

父に対してと、ブラック会社に対して、それはできませんでした。

父には殴られ、階段から突き落とされました。ブラック会社からは、パワハラ・モラハラが酷くなる一方でした。

命にかかわるような相手の場合は、あいだに第3者を介入させた方がよいですし、とにかく逃げることが最優先になるでしょう。

しかし、そこまで悪質・危険ではない相手には、ギリギリまで我慢せずに自分の立場や状況をきちんと伝えましょう。

私の例では、夫です。

夫は殴ってきたり、モラハラで私を追い詰めたりしません。夫は襲い掛かってくる猛獣でもなければ、サイコパスでもありませんでした。

「うるせぇなぁ~」と文句も言いますし、よく喧嘩になりますが、改善しようと努力している気配は見えます。

私の夫はとにかくうるさいんです。声も大きいし、足音も、ドアの開け閉めも、なにもかもがうるさいのです。

もう、何度訴えたか、何度貼り紙をしたかわかりません。

諦めつつも誠実に対応する、という種類の愛

先日、レイキヒーリングをしている最中にハイアーセルフにこう言われました。

あなたが関わる人がどういう道を選び、どのように歩くかはその人次第です。

諦めにも似た気持ちのゆとりを持ちながらも、誠実に関わることは、“愛”のひとつです。

「アタシ、絶対に諦めない!夫を変えてみせる!」と、意気込むのは、愛から離れて、“支配”になります。

「自分はあなたのこんなことで困っています。止めてもらいたいのです」ということを根気強く伝えるのは大切ですが、もし、「困っている・辛い」という気持ちを、「知ったことか」と無下にされたなら、「それはあなたの課題であって、私の課題ではない」と、割り切る準備をすすめることも大切です。

それは、弁護士や労働基準監督署に相談し、第3者に介入してもらうことで問題をオープンにすることも含まれるでしょう。

もちろん、その人から去ることも含まれます。

●己に依存心がある(共依存)
●経済的な自立が困難な状況である

これらの場合には辛い道のりになるかもしれません。

かつての私も味わいましたが、とにかく退避!が必要な時もありますし、いつかは向き合わなければならない時もあります。

アドラーの言葉は、「私、面倒なことにかかわりたくないから。それ私の課題じゃないから、知らなーい」という意味合いではないはずです。

ちなみに夫の騒音対策は、低反発の絨毯を敷いたり、履き心地の良いスリッパを購入し、環境を変えることも随時しています。

拒否権は尊いものです。

無視されてはならないものです。