誘拐未遂被害に遭ったときのことを書きます

2017年10月29日放送のドラマ「BORDER(ボーダー) 贖罪」(小栗旬主演)を観て、ドラマの感想はもちろんあるのですが、今回は私が3歳のころに誘拐未遂に遭ったことを書きます。

「BORDER 贖罪」の発端の事件が幼児殺害事件だったので、「あの偶然がなければ私ももしかして」と思わずにいられませんでした。また、社会環境にも思うところありまして。

「BORDER」最終回(2014年)を観た後の感想はこちらからどうぞ→「共依存」と「引き寄せ」を思い出す。許しとは何か?

マンモス団地で、放置子(放置されている子ども)だった

3歳のころ、マンモス団地に住んでいたことがありました。

同じ作りの団地がいくつも並ぶ、大人でも迷いそうな団地でした。

団地内に公園があり、大人の感覚では目の前だったのだろうと思うのですが、子どもにとっては巨大迷路のなかでした。

パトカーに乗せられて帰ったことや、近所の方に連れられて帰宅したこともありました。自分の家だと確信してドアを開けたら他人の家だった、なんてこともありました。

私の感覚では、3歳児を一人で遊ばせようとは到底思いません。

喉が渇いても、公園の水を独りでは飲めませんし、トイレにも行けません。何よりも、怪我の対処や、連れ去りが心配だからです。

しかし、私の母にはそういった危機意識は薄かったようです。

しょっちゅう迷子を繰り返した、ということはそういうことです。

ただ、世代ギャップとでも言ったらいいのでしょうか。母の育った環境と、さらに当時のワンオペ育児の状況を考えると、母だけを責めても何も解決しないということは強く感じます。

誘拐された、その時

ある日の夕方。

私の記憶で鮮明なのは、沈みゆく赤い夕陽。知らない男性に手を繫がれずんずんと歩いていくところです。

団地の出入り口には大きなアーチ状の門がありました。その門をくぐろうとしたその時。

隣家に住むAちゃんのお父さんが歩いてきました。

ちょうど帰宅時だったのでしょう。

「あれ、ちさちゃん。その人は誰?」と話しかけてくれました。

すると、その男性は走り去って行きました。

「あのアーチをくぐったらだめ」ということは何となく思っていたので、ひどくほっとしたのを覚えています。

その後のことは記憶にありません。

Aちゃんのお父さんが母に伝えたのか?

母は警察に相談したのか?

わかりませんが、母からこの誘拐未遂の話しを聞いたことはありません。

母は10年以上前に亡くなっており、また、一緒に過ごした期間が短かったこともあって、このことを問い詰めたことはありません。

実際のところは曖昧で不明なのです。

犯人から見た私

以下は、私の憶測によるストーリーです。

大抵の家では夕飯の支度も終わり、子どもを迎えに来る親が次々と現れては子どもの手を引いて帰った。

あれほど騒がしかった公園から、ひとり抜け、ふたり抜け、あちこちで「バイバーイ」という声が響く。

影が長く伸びた公園に残った子どもの数はまばらで、まだ遊んでいたとしても小学校中高年の子どものみ。

そこに、一人で遊んでいる3歳児。

数十分ほど様子を見てみたが親は居ない。

言葉もまだ上手ではなさそうだ。

体重も10キロ強程度だろう、簡単に連れ去れる。

このような雰囲気だったのではないでしょうか。

「お母さんが呼んでいるから一緒に行こう」とでも言えば、7歳くらいまでの子どもは付いていってしまう可能性は非常に高いでしょう。

幼児に自衛を求めることの非現実さ

その頃の私はまだ集団生活を経験したことがなく、私の人間関係は母とAちゃんだけの、非常に閉ざされたものでした。

保育園や幼稚園、せめて一時預かりにでも行けていれば、「知らない人に付いて行ってはいけない」という教育を受けていたかもしれません。

あるいは、言葉や知識の豊富な子も居たでしょうから、影響を受けていたかもしれません。

とはいえ、3歳児に自衛を求めるのはあまりにも非現実的で酷なことです。

親をはじめとした大人が守ってあげる以外に選択肢はありません。

親・保育者の事情や問題と、どう向き合い、解決するか

保育者(父、母、祖父母など)にも様々な事情があるでしょう。

病気や怪我で外出もままならない、妻がワンオペ育児で乗り切るしかない、金銭面に大きな苦労を抱えており一日中働かざるを得ない・・・など。

保育者がベッタリ張り付いているのは、到底、無理な話しなのです。

ほんの少し目を離した隙にいなくなるのが子どもなのです。

大人が予想しないことをするのが子どもなのです。

だからこそ、地域全体で見守らなければならないと強く思います。

あの時。

Aちゃんのお父さんが偶然通りかからなかったら・・・

Aちゃんのお父さんが声をかけてくれなかったら・・・

そのトラウマのせいか今でも、ひとりで歩く子どもを目で追いかけてしまいますが、それぞれの子どもの後をくっついて歩くわけにもいきません。

誘拐未遂と虐待を経験して思うこと

私の幼少期から青年期にかけては生き地獄でした。

機能不全家庭という環境だけでも地獄だったのに、そこから派生する様々な問題がさらなる地獄を作り出しました。

子どもが子どもらしく過ごせるためには、健やかに保護され、慈しみと愛によって見守られるべきです。

そして、当然ですが、子どもの近くに居る保育者(父母)もまた健全な状態に在ることが大事です。

それを叶えるには、社会の在り様が最も大きいのではないでしょうか。

トルコでは、「子どもは国の宝であり、みんなで見守る」という雰囲気に満ちているそうです。

オーストラリアの方と話した際に、こんなことを言われました。

「日本の会社では夜の8時9時まで働くんだって?じゃあ、いつ自分の人生を楽しむの?私はその時間はすでに夕食を終えて、バスケットボールを楽しんで、一杯やっている頃だよ!」

と。

ブラック会社、長時間労働、待機児童問題などの問題も、もう何年も言われ続けています。

「子どもを守りたい」という言葉は同じでも、考えと行動は人それぞれ違います。

プライバシー、同調圧力、価値観の押付け・・・など、難しい問題も多いのが現実です。しかし、考えることを放棄することだけはしたくないと思っています。

お母さんやお父さんもベストを尽くす努力は求められますが、しかし、親の肩にだけ載せておいていい問題ではないはずです。

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