不幸オーラと哀愁ただよう20代、免許証の顔写真が悲しい

不幸オーラが漂っている
哀愁がすごい

などと言われ続けた20代から30代前半の私。

不幸オーラ、漂っちゃってましたか

もちろん、言われた本人(私)にはどういうことなのかイマイチ解りません。
「不幸オーラですって?失礼しちゃうよねー!」くらいにしか思っていませんでした。

ところが先日、引出しの中を整理していたら当時の免許証(写真)が出てきました。

確かにすごく不幸そう!なにこれ。

20代ですからね、お肌もピチピチなのに隠しきれない苦労感と薄幸感。

まぁ…確かに不幸だったよね

機能不全家庭、暴力、虐待、経済DV……実際に幼児のころからずっと不幸だったので、不幸オーラのひとつやふたつ漂っても仕方がないのかもしれません。

小学生の弟が、家に灯油をまいて「お姉ちゃん、もう死のう」と泣いた日。

その瞬間に、なんかこう…… メラァッッッ と来まして。
とてつもない怒りが湧いたのをよく覚えています。

小学生をそこまで追い詰めた親や世間に対する怒り、全ての理不尽に対する怒り。

あの怒りが私と弟を救ったのかもしれないと思うと、怒りっぽい性格も捨てたもんじゃありません。

四柱推命の大運を見ると、「うわぁ……」と声が出るほどに分かりやすく運気が悪いです。

誘拐未遂に遭ったこともあり、とにかく散々なんですよね。

脱・不幸オーラまで

生き難さと孤独感から10代の頃は心理学や哲学、宗教史の本を読み漁りました。
遠藤周作の本にはとても励まされ、何度も何度も読み返したことを思い出します。

とはいえ、心理学も哲学も宗教も私を救ったわけではありませんでした。

やがて、「なぜ私の人生はこんなに辛いのか」「いつになったら楽に生きられるようになるのか」という疑問は、“占い”への興味となります。

とどめは、経理事務&占い師だった叔母と、霊感があった母の影響です。
高校を卒業した頃から人を占うようになりました。

それから十数年。

不幸オーラの根源と対峙することになり、きれいに剥がれ落ちました。

付合いの長い友人たちからも「不幸オーラ、すっかり消えたねぇ」と言われ、今の免許証にはスットボケタおばさんが写っています。

自己憐憫と依存は、いつだって味方のような顔をして隣に座ってくる

辛くてどうしようもないとき、どうしたら良いのか悩んで苦しい時。

そんな時ほど占いやスピリチュアルに頼りたくなりますが、それらは答えそのものを与えてくれません。

「ジョージと結婚しなさい」
「〇〇会社に入社しなさい」
「その株、今が買いだ!」
「あぁしなさい!こうしなさい!~になりたいならば、言うことを聞きなさい!」

とは言わないんです。もちろんそれで良いのですけれど、ひどく弱くなっていると誰かや何かに頼りたくなります。

依存してしまった方がいっそのことラクなんだけどな……と思うこともあるかもしれませんね。でも、依存の先にあるものは、いつも「誰かのせい」「環境のせい」にして、他者を羨む世界なのはきっともうご存じのことと思います。

自己憐憫依存は、いつだって味方のような顔をして優しそうな雰囲気を漂わせて隣に座ってくるんです。まったく油断も隙もないですね。

占いもスピリチュアルも心理学も、「自己憐憫のぬるま湯」から出ない人には何の役にも立たないツールなのだと思います。

意外に「精神の筋トレ要素」があるので、私にはスピリチュアルがキラキラふんわりしたものとは思えません。