小栗旬さん主演の木曜ドラマ「BORDER(ボーダー)」(テレビ朝日)の最終回を観まして、共依存と引き寄せについて考えさせられました。
※ネタバレ含みますので、まだ観賞されていない方はご注意ください
リアルで真実味がある終わり方だったのではないでしょうか。
目次
ドラマ「BORDER」に見る、共依存と引き寄せ
頭に銃弾を受けたことにより、死者と会話できるようになった主人公・石川(小栗旬)。
突然手に入れた「特殊能力」を使いこなして、悪を追い詰める。
……はずでした。
能力に振り回され、もっとも忌み嫌っていた「悪」の世界へ足を踏み入れてしまいます。
「能力」さえ手離していたらこうはならなかったのでしょうか?
母が言っていた言葉を思い出します。
お金と刃物は人目に付くところに置いてはいけないのよ。
あれば使ってしまうのが人間なのだから。
「悪を絶対に許さない」という強い気持ちがさらに許しがたい悪を引き寄せ、そして、「許せない自分」をも引き寄せてしまったのでしょうか。
そもそも、彼はいつから悪を許せなかったのでしょうか。被害者に深く感情移入してしまうのは、いつからだったのでしょうか。
共依存の仕組み
共依存の仕組みを説明するときの例で、
と、いうものがあります。
救われたい!助けて欲しい!と思っている人を引き寄せる人は、本質的には自分自身が救われたい人です。
モラハラ被害やDVに遭いやすい方のパターンのひとつでもあります。
誰かを救ってあげたいと思う優しい人は、当然、人を救う立場(尻拭いなども含む)になりやすいものです。
しかし、本当に救われたいのは自分自身なので、矛盾を抱え、苦しみ、キャパオーバーになります。
そして、引き寄せられてきた「救われたい人」は相手に依存し、責任転嫁するようになります。
インナーチャイルド、アダルトチルドレン
私もそうでした。
機能不全家庭で育ち、自分が被害者だった辛い過去を封印しました。
他人にひどく同情的なところがあり、かといって頼られるとその重荷に耐えきれませんでした。
ずっと長い間気づかずにいましたが、救われたかったのは私自身だったのです。
自分に存在意義を見出せずガムシャラに仕事を頑張るけれど、頑張れば頑張るほど空回りし、独り善がりに苦しみました。
根底にあったのは「認めてほしい」「褒めてほしい」という感情だったからです。
「私は幸せになる資格などない価値のない人間なのだから、仕事を頑張るしかない。頑張らなければ私の居場所なんてないのだ」という低すぎる自己と反面のプライドの高さ。
仕事で認めてもらうことで自己肯定感を満足させたかったのだと思います。
そうやって、真実の内なる声(アダルトチャイルド、インナーチャイルド)に気づくまで、ぐるぐる回り続けました。
【参照】<第1回>ヒプノセラピー・レイキ/燃え盛る家とのっぺらぼうの私
フォーカスするその先と、最後の「BORDER」
共依存の例えから長くなってしまいました。
「悪」にフォーカスしつづけた彼が、悪に引き寄せられるのは当然のような気もします。
足を踏み外すのは「一瞬」です。
踏み外して、ふと我に返る。
さっきまで居た場所に戻ろうとし、足元を見ると……崖。
あちらの岸とこちらの岸の間には深い崖が横断しています。
こちらに側に来る時には、崖なんてなかったのに……容易には戻れないから「BORDER」なのです。
物語の主人公・石川には、決して「最後のBORDER」を越えてほしくありません。
誰かを(何かを)許せない人、断罪している人は、自分を許せないのです。
主人公・石川は無力な自分を許せなかったのかもしれませんが、自他の境界があまりにもなくなっていました。
人を救う仕事をする場合、自分の足場が安全かどうかをいつも確認していなければなりません。二次被害、三次被害につながりかねないからです。
救ってあげたい人は、自分自身ではありません。
彼が心の奥底にしまっている「許してあげたい」自分とはそのような自分なのでしょうか。
弱い自分、狡い自分、姑息な自分、理想のように輝いていない自分……
許せなくても、赦すことならばできるように私は思っています。
小栗旬へのイメージが変わった作品
小栗旬というと、「王道のラブストーリー」というイメージが強かったのですが、「どんどん悪の淵に引き寄せられていく石川」に説得力を持たせられたのは、犯人への怒りと被害者への同情の表現力が素晴らしかったためです。
とても見応えのあるドラマでした。
【おすすめの参考書籍】
↑この本を一番読み込みました。ワークについても書いてあります。
本来はグループで行うのが良いようですが、私は一人で行いました。
↑自分がされたことにわざと鈍感なり、傷に触れないようにすることは「自衛」のひとつだと思います。もし、一歩進もうと思う時が訪れたら読んでみてください。
また、自分の何気ない言動が「実はこれもモラハラだ」という気づきも得られました。