「〇〇なんかじゃ食べていけない」という親・世間からの呪い

〇〇なんか、仕事にならない。夢ばかり見ていないで現実を見なさい

親が子どもに言うお決まりのセリフですが、言われる子どもの気持ちもわかるし、言ってしまう親の気持ちもわかります。

この類(たぐい)の呪い、あなたも掛けられていませんか?

文学なんか
音楽なんか
絵なんか
声優なんか
俳優なんか
漫画なんか

今だと、「ユーチューバ―なんか」というのもあるかもしれませんね。

〇〇なんかで、どうやって食べていくつもりなんだ?

「歴史なんか仕事にならない」
「宗教美術なんか、哲学なんか、なんの役に立つんだ」

上記の3つは、まさしく私が父にかけられた呪いです。

親もまた「呪い」を掛けられていた可能性がある

親に掛けられた呪い。
学校の先生に掛けられた呪い。

子どもにとって、身近な大人に掛けられた呪いは強く影響します。

虐待・毒親であった私の父は勉強もスポーツも大変に優秀だったと、教育者だった祖父から聞いたことがあります。さらに絵画も上手で何度も絵画展に入賞したそうです。明るくユーモアのある青年でした。

それがなぜ、狂ったように暴力を振るい、搾取し、恫喝する父親になったのでしょうか。

原因は父の兄の犯罪と、両親(私からは祖父母)のあまりにもまずい対処にありました。父は家族の犠牲になったのです。尻拭いをさせられたのです。

能力があったにも関わらず多くを諦めざるを得ませんでした。

父は、犠牲のために呪いをかけられ、それは父が家を出るまでのあいだずっと続きました。

そうやって何年もかけて心の奥底にインナーチャイルドが育ってしまったのです。

インナーチャイルドあるいはアダルトチルドレンと言われる言葉ですが、
「子ども時代に子どもらしくふるまう」
「yes,noを明言してもよい」
などの権利を、乳幼児から青年期のあいだに著しく傷つけられた経験があることを、私はインナーチャイルドと言っています。
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私がインナーチャイルドと表現するときは
傷害を負わされた自尊心
自分を大切にする権利・他者から尊重される権利を著しく傷つけられた経験」を指しています。
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虐待や、親が何らかの問題を抱えて親としての役割や振る舞いを果たせていない家庭です。

私は、父が私や母や弟にしたことを許してはいません。しかし、父もかつては被害者でした。

辛い思いをしただろうと思います。

問題を誤魔化すと問題は膨張し、問題の「汚染」は連鎖する

私は相当に酷い虐待を受けましたが、それでも思うのです。

父がもし健全な家庭に生まれていたら、どれだけ魅力に溢れた人になっていただろう、と。

祖父母が、世間体などかまわずに本当の本当に子どものためを思って行動していたら、まったく違う人生があったのではないか、と。

祖父母の判断の過ちから、私ははっきりと学びました。

問題と真正面から向き合わないでいると、問題は膨れ上がる。

世代を超えた、問題による汚染が拡がる。

親になった今、“呪い”を発動させないために、何ができるか?

私が教授と塾長に大学編入を勧められたとき、勇気を振り絞って宗教美術や哲学、文化人類学の道へ進んでいたら……どうなっていたかなぁ?と妄想することがあります。

これまでに辿ってきた道も必要な道だったことは受け入れてるので、後悔というほどの気持ちでもありません。

けれど、やはり、チャレンジしたい気持ちはまだあります。

子どもが中学生になってからのお楽しみでしょうか。

親が何かにチャレンジしている姿を子どもに見せることが良い…というよりも、自分の人生を一生懸命に誠実に生きていれば、子どもの進路についても一度きちんと向き合えるのではないでしょうか。

たしかに、収入を得やすい職業や社会的な信用を得やすい職業に就いてほしい、そんな思いは親心です。

やりたい仕事を実現させてみたものの、自分には合わなくてドロップアウトすることもあり得ます。

私は、荒唐無稽に聞こえるチャレンジを引き留めることもそれはそれで愛だと思います。

若い人は10年かけて資産を増やしてから子どもを産んだ方が良い、ということを提唱するコンサルタントがいますが、人生がそんなに計算通り行くのか誰にもわかりません。

ある道を選んだ時のリスク情報と、どこを引き際とするかの知恵を示した後は……子どもに任せるしかないのでしょう。

【おすすめの参考書籍】

インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法〔改訂版〕

↑この本を一番読み込みました。ワークについても書いてあります。
本来はグループで行うのが良いようですが、私は一人で行いました。

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

↑自分がされたことにわざと鈍感になり、傷に触れないようにすることは「自衛」のひとつだと思います。もし、一歩進もうと思う時が訪れたら読んでみてください。

また、自分の何気ない言動が「実はこれもモラハラだ」という気づきも得られました。