誰かの死や終わりが、誰かの生や始まりになることがある~宮古島(来間島の長間浜)での癒し体験

母を乳癌で喪って

宮古島が私にとってどうしてスピリチュアルな場所であるかを書きます。

前回まで宮古島旅行について書いたけれど、どうしても宮古島に行きたくなった理由は、「母の死」にほかならない。

私が幼稚園児のころにはすでに、母に対する父の暴力と経済DVは凄まじかった。
母が血を流しながら家を逃げ出したのが、私が小学5年生の朝だった。

それから父と暮らした数年があって、諸事情が重なって母とまた同居したのが高校を卒業してから。

21歳の時には私が家を出たので、母と一緒に暮らした時間って本当に少ないのだなぁ、とあらためて思う。

そして私が20代半ば、母にステージ4の乳癌が判明した。
余命宣告よりもずっと頑張った母が他界した後、「胸にぽっかり穴が空く」を実体験した。

人生、もっと楽しみたい

その時に私が強烈に感じたことが、

人生は思っているよりも短いのかもしれない。
今まで生活費を得るのに必死で、旅行すら満足に行っていなかった。(家族旅行なんて、もちろん無い)

明るいところに行きたい。
南国・・・、そうだ、宮古島に行こう!

長年勤務していた会社を辞め、母の願いにより父親の仕事を継ぐつもりだった。

ところが、修行のつもりで再就職していた会社も、父の愛人の思惑が透けて見えてバカバカしくなって辞めていた。

【追記:2017年】父と絶縁した今となっては、「父に歩み寄ろうとした数年の努力って一体なんだったのだろう?」と自分に呆れる部分もある。とはいえ、そのおかげで「絶縁も仕方ない」と納得できているのだからそれで良かったのかもしれない。

母の死は、私の人生の再生

母の死は、「ずっと被害者で良いのか?」と問うてくれた初めの一歩だった。

そして、「人生の再生」にふさわしい象徴を、明るい陽射しが降り注ぐ南の島に求めたような気がする。

再生の前に、癒しが必要だったのだと思う。

私が宮古島で最もスピリチュアルな癒しを受けたのが来間島の長間浜だった。

ゆったりとおだやかで

大きな地球の揺り籠のような

胎内で揺られているような

胸に空いた穴に、しんみりと“癒し”がしみ込んでくるようだった。


↑当時のガラケーなので画像イマイチだけど、本当にきれいな浜辺です

人生に重要な意味をもたらした人の死によって、気づくことや見えてくることがある。

実家と縁の薄い私は、とにかく生活するのに必死だった。

母の死を境に価値観が変わり始め、スピリチュアルへの扉が開いた。

【追記:2017年】その後、結婚と出産でさらに深い変化が起きた。生・死が与える影響は大きく、不思議だ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする