3歳のころに誘拐未遂に遭ったことがあります。
私自身がそうであったように、子どもは知らない人にあっさりと連れ去られてしまいます。10歳くらいの男子でも、トイレには一人で行かせずトイレ前で待機してあげてほしいです。が、一人で複数の子どもを見るのは、無理なんです。無理なことを無理やりやっているのが現状です。
大人全体で子どもを見守っていかなければならないと強く感じます。
娘さんを持つパパは、お困りでしたら店員さんに声をかけて手伝ってもらってください。(私でよければお手伝いしますが、身元不明のおばさんなので不安ですよね……汗)
スーパーやショッピングモールのゲームコーナーに一人で居た幼児を中学生男子が連れ去り殺害したあまりにも痛ましい事件を覚えている方も多いかと思います。犯人が大人であるとは限りません。
育児経験中の私は、四六時中こどもに張り付いているのは絶対に無理だと、痛いほど理解しています。親が一人でこどもを保育すること自体にシステムの破綻があるわけです。
目次
マンモス団地の放置子(放置されている子ども)だった
4歳くらいまでの幼少期のころ、マンモス団地に住んでいました。
同じ造りの団地がいくつも並ぶ、大人でも迷いそうな大規模な団地でした。
団地内には公園があり、大人の感覚では目の前だったのだろうと思うのですが、子どもにとっては巨大迷路のなかでした。
本当によく迷子になりました。
巡回パトカーに乗せられて帰ったことや、近所の方に連れられて帰宅したこともありましたし、自分の家だと確信してドアを開けたら全く知らない人が出てきた、などということもありました。
つまり、私の両親は幼児を一人で遊ばせていたのです。
私の感覚では、3歳児を一人で遊ばせるのはあり得ません。
3歳児では、喉が渇いても公園の水を独りでは飲めませんし、トイレにも行けません。何よりも、石や木の実を口に入れる、転ぶ、転落するなどは親がごく近くで見ていてもやるのが幼児です。
怪我や連れ去りは最たる懸念事項であり、絶対に保護者が近くにいなければなりません。
しかし、私の母にはそういった危機意識は薄かったようです。
しょっちゅう迷子を繰り返した、ということはそういうことです。
よくぞ怪我をしなかったものだと、つくづく思います。
ただ、世代ギャップとでも言ったらいいのでしょうか。
母は終戦後すぐの非常に貧しい時代に生まれ、そのなかでも貧しい暮らしをしていたようです。病気で働けない父に代わって働きづめの母の代わりに兄弟姉妹たちの世話をしていたそうです。
そういう時代だった、と言われればそうかもしれませんが、終戦後に流れ着いた土地で親戚などいませんでした。母はひとりぼっちだったと思います。
そして、私の幼少期を振り返ってみると、母もまた知り合いのいない土地でワンオペでした。マンモス団地に住んでいたころは、不倫・暴力・経済DVの前で、ただ単に貧乏でした。その頃の母は美容器具の営業と夜からスナックで働いていました。
お金がなかったのです。子どもを見てくれる人がいなかったのです。母だけを責めても何も解決しないということは痛いほど理解しています。
父親の無責任な態度はあまりにも大きな問題でした。そして、ふたりとも無知でした。
誘拐された、その時
私の記憶で鮮明なのは、沈みゆく赤い夕陽。
知らない男性に手を繫がれ、ずんずんと歩いていました。
団地の出入り口には大きなアーチ状の門がありました。
その門をくぐろうとしたその時、隣家に住むAちゃんのお父さんが向こうから歩いてきました。
ちょうど帰宅時間だったのです。私と知らない男を交互に見ながら、「○ちゃん、その人は誰?」と話しかけてくれました。
すると、その男はパッと手を離し走り去って行きました。
その後のことは記憶にありません。
Aちゃんのお父さんは母に伝えたのか?
母は誘拐未遂のことを把握していたのか?
警察には通報したのか?
結局、母からこの誘拐未遂の話しを聞いたことはありません。
母は私が小学生のときに、父の暴力から逃げて家にいませんでしたし、私が20代のおわりに亡くなりました。
一緒に過ごした期間が短かったこともあって、このことを問い詰めたことはありません。
野生動物も群れからはぐれたものが狙われますが、まさに私の家庭環境は群れからはぐれている状態でした。
犯人から見た私
以下は、私の憶測によるストーリーです。
大抵の家では夕飯の支度も終わり、子どもを迎えに来る親が次々と現れては子どもの手を引いて帰った。
あれほど騒がしかった公園から、ひとり抜け、ふたり抜け、あちこちで「バイバーイ」という声が響く。
影が長く伸びた公園に残った子どもの数はまばらで、まだ遊んでいたとしても小学校中高年の子どものみ。
そこに、一人で遊んでいる3歳児。
数十分ほど様子を見てみたが親は居ない。
言葉もまだ上手ではなさそうだ。
体重も10キロ強程度、簡単に連れ去れるだろう。
このような雰囲気だったのではないでしょうか。
幼児に自衛を求めることの非現実さ
その頃の私はまだ集団生活を経験したことがなく、私の人間関係は母とAちゃんだけの、非常に狭いものでした。
保育園や幼稚園に行っている年長さんなら、「知らない人について行ってはいけない」という教育を受けていたかもしれません。
3歳はまだ赤ちゃんのようなもの。まだうまく話せません。トイレもひとりで上手にできないのです。
3歳児に自衛を求めるのはあまりにも非現実的。
親をはじめとした大人たちが守ってあげる以外に選択肢はありません。
小学生高学年であっても、「お母さんが交通事故にあった!いますぐ一緒に病院に行こう!」などと言われれば、動揺してついていってしまう可能性は高いでしょう。
親・保育者の事情や問題とどう向き合い、どう解決するか
保育者(父、母、祖父母など)にも様々な事情があります。
病気や怪我で外出もままならない、
妻ひとりがワンオペ育児で乗り切るしかない、
金銭面に大きな苦労を抱えており一日中働かざるを得ない……など。
保育者がベッタリ張り付いているのは、無理なのです。
そして、
ほんの少し目を離した隙にいなくなるのが子どもなのです。
大人が予想しないことをするのが子どもなのです。
ひとりの保育者の根性に任せられるほど育児は甘くありません。
あの時。
Aちゃんのお父さんが偶然通りかからなかったら……
Aちゃんのお父さんが声をかけてくれなかったら……
そのトラウマのせいか今でも、ひとりで歩く子どもを目で追いかけてしまいます。しかし、それぞれの子どもの後をくっついて歩くわけにもいきません。
誘拐未遂と虐待を経験して思うこと
私の幼少期から青年期にかけては生き地獄でした。
放置と暴力にまみれた機能不全家庭という環境だけでも地獄だったのに、そこから派生する様々な問題がさらなる地獄を作り出しました。
子どもが子どもらしく過ごせるためには、健やかに保護され、慈しみと愛によって見守られるべきです。
そして、当然ですが、子どもの近くに居る保育者(父母)もまた健全な状態に在ることが大事です。
それを叶えるには、社会の在りようが最も大きいのではないでしょうか。
差別、長時間労働、モラハラ・パワハラ・セクハラ・マタハラ、待機児童問題などの問題も、もう何年も言われ続けているにも関わらず解決の兆しはまったく見えません。
大人に、これほど余裕のない状況が続いているのですから、子どもを守る環境になり難いのも当然です。
オーストラリアの方と話した際に、こんなことを言われました。
日本の会社では夜の8時9時まで働くんだって?
じゃあ、いつ自分の人生を楽しむの?
夕食を終えたら、家族や友人たちとバスケットボールを楽しんで、妻と一杯やっている頃だよ!