今回は、宮古島が私にとってなぜ特別にスピリチュアルな場所であるかを書きます。もし、あなたが心に途方もない虚しさを抱えているのだとしたら……少しでも何かしらのヒントになれば幸いです。
母を乳癌で失った喪失感から呼ばれるように宮古島へ
前回まで宮古島旅行について書きましたが、どうしても宮古島を訪れたくなった理由は、「母の死」です。
私が幼稚園児のころにはすでに母に対する父の暴力と経済DVが凄まじく、怒号、泣き叫ぶ声、ガラスが割れる音に恐怖する幼少期でした。
私が小学5年生のある朝、母は血まみれになって逃げました。
18歳ころから2、3年ほど母と暮らす時間を得ましたが、すぐに私が家を出たので母と一緒に暮らした期間は本当に少ないのだなぁ、とあらためて思います。
そして私が20代前半、母にステージ4の乳癌が判明しました。
1年と言われた余命宣告よりもずっと頑張ってくれた母が他界した後に、途方もない虚無感に襲われました。
今まで張り詰めていた人生、もっと楽しみたい!
その時に私が強烈に感じたことが、
今までは生活するのに必死で、旅行すら満足に行っていなかった。
とにかく明るくて暖かいところに行きたい。
光が輝く場所に行きたい。
エネルギーが空っぽになって、暖かさと光を求めたのは人間の本能のようなものなのかもしれません。
母の死は、人生の再生を促した
母の死は、「ずっと被害者で居続けて良いの?」と問うた初めの一歩だったように思います。
そして、人生の再生にふさわしい象徴を、明るい陽射しが降り注ぐ南の島に求めたような気がするのです。
再生の前にまず癒しが必要だったのだと、今は解かります。
私が宮古島で最もスピリチュアルな癒しを受けたのが来間島(くりまじま)にある長間浜(ながまはま)でした。
該当ページ→宮古島旅行②~来間島の長間浜と楽園の果実(カフェ)
ゆったりとおだやかで、大きな地球の揺り籠のような、胎内で揺られているような場所でした。海が心の澱を浄化してくれ、しんみりと“癒し”がしみ込んでくるようでした。
↑当時のガラケーなので画像イマイチですが、本当にきれいな浜辺です
人生に重要な意味をもたらした人の死によって、気づくことや見えてくることがあります。
実家と縁の薄い私は、とにかく生活するのに必死で自己肯定感も自尊心も育つ余裕など無く、躓いてばかりいました。
母の死を境に価値観が変わり始め、スピリチュアルへの扉が開いたのが20代半ばのことでした。
宮古島へ行った後だからこそ拒否できたこと
長年勤務していた会社を辞め、母の願いで父親の仕事を継ぐつもりでした。しかし、父と愛人の思惑が透けて見え、バカバカしくなって辞めました。
宮古島の海が癒やしてくれたからこそ、「私はもうあなたがたと関わりません」と言えたのです。
「優しさは強さである」と言いますが、来間島(くりまじま)にある長間浜(ながまはま)は、まさにそのことを具現化させてくれたパワースポットでした。
該当ページ→宮古島旅行②~来間島の長間浜と楽園の果実(カフェ)
人がパワースポットやサンクチュアリを求めるのは、自然な感情なのです。場所が持つエネルギーを求めるのは人間の感性なのですから。