亡くなった母が、夫となる人物に会った瞬間に「この人だよ!」と教えてくれたあの日のことは、いまでもよぉく覚えています。
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夫と出会った瞬間に母が見せてくれた未来ビジョン
とある小さな会社に転職して2、3日目の朝。
会社の玄関でたくさん並んだ靴をまたいでいた一人の営業マンの後ろを通り過ぎようとしたところでした。
まだ会話をしたこともない彼と会釈だけすると、突然、私と彼の二人で母の墓前にいるビジョンが広がりました。
つまり、話したことも無い男性と母のお墓参りに行っているビジョンを見たわけです。
私の母は私が20代のときに病気で他界しています。
そんなビジョンを見せられたら、話したこともない彼のことが気になって当然です。
「とんとん拍子とはこのことか」というほどにスムーズな流れで、出会ってから結婚まで1年もかかりませんでした。
偶然の一致が重なるのは運命の出会い?
さらに、不思議が続きます。
私の誕生日と夫の親族の誕生日が同じでした。
私の弟の誕生日と夫の家族の誕生日が同じでした。
ちなみに、子どもの誕生日が夫の親族と同じでした。
また、わが家にとって重大な日が他の年には夫の癌の手術日になったり、結婚を決めた日だったりと、偶然が重なります。
「他界した母がビジョンを見せてくれたり、これだけ誕生日や重要な日が重なったりしているんだから、やっぱり縁があるんだろう」というシンクロは、夫婦喧嘩した際にはちょっとしたクールダウンとして使えてそれなりに便利です。
足りない五行を補う相性でもあり、理解し合えない相性でもあり
四柱推命の命式から見ると、私が欲しくて仕方ない五行(気や運みたいなもの)を夫は持っています。占いの見地から、夫は私にとって【恵みの神】なんです。
しかしそれは運気的なもの。
実際には、理解できないところや腹が立つところも多く、私には在り得ない発想と言動ばかりで、「エッ!?」と固まってしまうこともしばしば。
夫の考えが斬新すぎて、「……おぉ。全然解らないけど、違いすぎてすごい」という落としどころに向かうのはなかなか面白いです。
「夫は宇宙人なのかも」と思うことがありますが、かえって「他人のことなどわかならないものだ」という良い事例でもあるように思います。
自分と他人の境界がはっきり明確な夫と、曖昧な妻
夫の方から私の命式との相性を見ると、「現実に縛られる」感じがあるので何かと不自由に思っている部分はあるかと思います。
彼の命式はある意味で透明度が高く、「人情」というものがイマイチ解らない面があります。
優しさはあるけど、他人に感情移入することはありません。
そういうキャラクターなのは、自分と他者の感情の境界線がものすごくハッキリキッパリしており、超マイペースだから。
冷酷なのではありません。「人は人。自分は自分」というものが他の人よりも明確なのです。
夫はよく言います。
私と一緒になってから彼は「情というものに縛られて身動きが取れない妻」という、彼にとって不可解な状況を目の当たりにし続け、「人間って大変ダナー」と学んできたようで、最近はだいぶん人間らしくなってきました。
他者との境界が曖昧なために苦しみ続けてきた私にとっては、夫の生き方はとても参考になりますし、取り入れるべき部分は多いです。
「私には幸せになる資格も価値もない」と思い込んでいた呪い
(この人と結婚して離婚になるんだったら、他の人でも離婚になるだろうなぁ)と妙に納得してサクサクッと結婚できたのは、やはり、母がビジョンを見せてくれたからに違いありません。
機能不全家庭に育ち、「結婚なんてしたくない、子どもを愛せる自信がまったくない」と思い続けてきましたが、本当の願いは「温かい家庭が欲しい」という、まさにコインの裏表でした。