不倫の孤独感と苦しみは、喉の渇きに耐えかねて海水を飲むようなもの

不倫は、「喉の渇きに耐えかねて海水を飲んでしまう」ようなところがあると思います。

不倫の苦しみは喉の渇きに耐えかねて海水を飲むようなもの

これまでの不倫の悩みをミックスしてフィクションにしました。

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A美さんの両親は父親の不倫や借金が原因で離婚。
母親が苦労に苦労を重ねてA美さんを育ててくれました。

そういった家庭環境もあり、A美さんは「早く結婚して温かい家庭を持ちたい。優しくて責任感のある人と結婚する」と心に誓っていました。

A美さんは理想の彼氏を求めて、自分磨きも出会いの努力も怠りませんでした。

しかし、なかなか出会いに恵まれないところに職場の既婚男性からの強いアプローチと孤独に負け、不倫。

お決まりの、「妻とは離婚を考えている、愛していない」という言葉。

A美さんは不倫と嫉妬の泥沼でもがきました。

妻の妊娠が判明した直後、A美さんは狡い不倫相手の本性を目の当たりにし、不倫を精算しました。

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不倫は、海で遭難し漂流しているあいだに、喉が渇いて渇いて渇きに耐えかねて……とうとう海水を飲んでしまうようなもの。

海水を飲むと喉の渇きは潤うどころか更に苦しくなりますから、それはもう地獄です。

寝てみたところで、結局、たいしたことは解らない

寝てみたところでたいしたことは解りはしないのです。

肌を重ねる回数が増えるほどに「彼は本当に私を愛しているのだろうか?」と疑惑がつきまとうことだってあるでしょう。

その男がどんな風に女を愛するかを知って、むしろ幻滅した人もいるはずです。

無防備に寝入る男のまつ毛を見て愛おしく思うのは、それが非日常だからです。

肉体関係という門をくぐって、”非日常”のピークを迎え、ここから「相手を深く知る、自分を深く知ってもらう」ことが始まります。

日常が重なれば、金メッキがはがれるように感じることもあるし、知りたくなかった部分も視えてくるものです。

あるいは、お互いに思いはあるものの、「寝ない」という選択をするふたりもいるでしょう。

それはつまり、いつかは寝るかもしれないし、寝ないかもしれないし、という密かな思いが交差する関係です。

もし、夫が他の女性と「ローマの休日」のような純愛をしたら……不倫以上にショックを受けるでしょうね、私は。

自分と似た人を引き寄せるとき

「不倫をしています」という相談は、突き詰めていくと

【夫に対する不満、不信】が根本にあるケース
【不倫相手を本気で愛してしまった】ケース
③上記2つはまったく関係なく、もっと根本的な欠乏感のようなものを抱えているケース

この、3つに分かれます。

「2つ重なっている」「私は3つ全部」という場合でも、いずれかに比重があるはずです。

不倫の相談で命式を見るときに、相談者の命式と不倫相手の命式の雰囲気がよく似ていることがあります。

あまりにも命式の雰囲気が似ている場合の不倫のご相談を受けると、これもまた引き寄せなのだろうかと、不思議に思います。

まるで鏡に映った自分のように……

不倫に限らず、その関係に「ゆがみ・いびつさ」の気配を感じたら、心に問いかけてください。

自分の人生なのに、誰かに幸せにしてもらおうとしていない?

理想のお父さん像を相手に被せていない?

孤独を埋めるための逃避先にしていない?

親の不倫を、子どもの立場から

最後に『子ども』の立場から少しだけ書きます。

私の母は、父からの長年の暴力(肉体・経済ともに)と不倫に傷つき苦しみました。

妬みや恨みに飲み込まれないよう、自分の精神と感受性を激しく消耗していました。

不倫相手とは海外旅行に行くのに、家には生活費すら入れない父。

そのせいで早朝から深夜まで働きづめの母が授業参観に5分だけ顔を出してくれた日のことをよく覚えています。

母は隠していたけれど、夜中にいくつもの缶ビールを飲み干して、カブトムシの幼虫のように、膝を抱えて丸くなり震えて声を殺して泣いていました。

不倫をしている人は、相手が妻と子どもにどのように接しているのか、秘密裏に探っておくべきです。

もし、私の父のようにここまで妻を苦しめる男だったら……?

それから、不倫している方は「子どものことを第一に考えています」と言うのなら、不用意に人に話したり、SNSで匂わせたりしないことです。

職場の不倫にありがちですが、バレていないと思っているのは当人ふたりだけで、実はみんな薄々気づいていた……なんていうケースは山ほどあります。

カンの鋭い子は親の変化からいろいろと感じ取ります。

また、「うちの子はしっかりしているから」「まるで姉妹のような関係だから」と、自分の恋愛や配偶者の不満を明け透けに子どもに話す方がいらっしゃいますが、だめです。

子どもにあなたの友だちを演じさせることと、一人の人として敬意をもって接することはまるで違います。