~ 月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ ~法然上人の和歌

2017年も今日まで。みなさんはどんな大晦日をお過ごしでしょうか。

夜空を見上げましたら、いつもより大きな月。そういえば2018年1月2日は満月です。そして、スーパームーンなんですよね。

あと二日で満ちる月から、清々しい光が溢れていました。




月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ

今年はどのような一年でしたか?

もしかしたら、ご苦労の多い辛い一年だった方もいらっしゃるかもしれません。

私は、辛いことがあると月を眺めに外に出ることがよくあります。月の光のシャワーが辛い思いをそっと流してくれるような気がするからです。

それに、あの世とこの世が混ざり合っているような不思議な空間になっているのが好きなんですよ。

そこに怖さはまったくなくて、生まれてくる前や死んだ後に魂がちょっと休む空間……といったニュアンスを感じて、なんだか少し懐かしいのです。

月を見ると思い出す和歌があります。

月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ

浄土宗の開祖である法然上人の和歌です。

月の光がとどかない里はないけれど
その光を眺めよう(受け入れよう)とする人の心だからこそ
月の光に気づくことができる

このような意味合いになります。

下のリンク先(浄土宗 総本山知恩院 )には、父親に甘える娘のたとえ話が出てきますが、私は残念ながらこのような親子関係に恵まれませんでした。

でも、ちょっと似たような経験をしたことがあります。

人生に失敗して(失敗続きの人生なのですが)、東京にある神田明神さんに駆け込んで「私だって幸せになりたいんです!なぜ私は孤独なのでしょうか?」と声を殺して泣いたことがあるんですよね。

『私だって、本当は誰かに心から愛されたいです。そして誰かを心から愛したいです』

それが、私の本当の願いだったことに、失敗を重ねた崖っぷちでやっと気づきました。

私と同じように、虐待やモラハラ・パワハラを経験した方や酷い裏切りを経験した方などは、この話しを聞いて涙ぐんだりするので……人知れず神社や教会で泣いている方も少なくないんだな、と実感します。

要するに、「私は愛されるに値しない人間である、幸せになってはいけない人間である」と、ずっと自分を罰してきたということです。

だから、結婚なんてしたくありませんでしたし、家族なんて重く冷たい鎖でしかなく、私が子を慈しめるわけがない!と、幸せから遠ざかっていました。

でも、気づいた。

神様に、素直にまっすぐに「幸せになりたい!」と泣いた3か月後に、まさか夫となる男性に出会って、その4か月後に付き合って、その6か月後に結婚するとは思ってもみませんでした。

魂からの願いに気づいて、それをストレートに神様(もちろん仏様でも)に伝えるとアッサリ叶うんだなぁ、と知った経験でした。

これ、多分なんですが「魂からの願い」だったからアッサリ叶ったんだと思うんですよ。欲が先行するお願いだったら、こうは行かなかったんだろうな、と思います。

月の光を受け入れる人が月の光に気づく。

自分もまた大いなる霊性を成すひとつの霊性であると受け入れたとき、気づく何かがあるのではないでしょうか。

私だって幸せになっていいんだ、と傷ついた魂を受け入れてはじめて、神様に気づけるのでしょう。

月を眺めると、あの世とこの世を分かつ境界が少しだけ曖昧になったような不思議な感覚がします。

あの世というのは、イメージではやっぱり「浄土」なんです。怖い意味ではなく、先立った愛しい人たちが安らかに過ごしている場所です。

私にとって月は、どうも浄土宗と親和性が高いようです。

さて、大晦日の独り言はここまでにします。

未熟な私に多くの実りと気づきをもたらしてくれた全てのことに、人に、ありがとうございました。

どうぞ来年もよろしくお願い致します。

良いお年をお迎えください。


近所の公園にて。
落ち葉のなかに、一際鮮やかに椿の花が。
まるで誰かが敢えてそこに配置したかのようでした。

2017年12月31日

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