2018年を振り返ってみますと「現役を引退する」方が多い印象ではありませんか?

安室奈美恵さん、滝沢秀明さん、小室哲哉さん、貴乃花親方…

「頑張らなくても良い」という言葉は途方もなく陳腐で薄っぺらい

今回は少々毒舌になります。

「大丈夫だよ」
「頑張らなくても良い」
「やりたいことだけやれば良い」

私にはこれらの言葉は途方もなく陳腐で薄っぺらいように感じます。
いえ、言葉そのものが陳腐で薄っぺらいのではありませんね。

「大丈夫だよ」と笑顔で言う、そんなあなたは大丈夫なのでしょうけれど、言われた私はちっとも大丈夫じゃないわーい!

……っていう経験をされた方、いらっしゃいます?

これらの言葉を他者に使う時は、相手の状況をよく見ましょう。励ますつもりが、相手をより傷つけ、深く絶望させる可能性があるからです。




頑張らざるを得ない状況だから

「頑張りすぎているがために、もっと頑張らなければならない状況」を引き寄せることは、あります。あるあるです。

もはや「頑張り」ではなく、自己犠牲的になってしまっている状態に、自分では気づけないものなんです。

とはいえ、そもそも、頑張らざるを得ない状況だから頑張って頑張って自己犠牲的になってしまっているわけです。

そういう辛い立場の人に、

「頑張らなくても良い」

この言葉は酷なんです。

どうしても何か言いたかったらこっちです。

今の頑張りは薄めて軽くして、頑張る方向や種類を変えてみたらどうかな?

というわけで、ここで私の母の話を少しさせてください。

骨折したにも関わらず病院を抜け出してきた母

私が4歳か5歳くらいのころのことだったと思います。母が大型トラックに轢き逃げされ、足を骨折しました。

救急車搬送されたものの、隙を見て病院を抜け出しタクシーで帰って来たのは、幼児二人(私と弟)の世話のために止むを得ず、でした。

私の父は猛毒親(暴力、経済DV、不倫)、母は完膚なきまでワンオペのため誰にも頼る人がいませんでした。

母が病院から抜け出してこなかったら、私と弟は二人きりで空腹のままずーーーっと母を待ち続けていたでしょう。

結局、母は高熱を出し(骨折しているから当然)、翌朝すぐに病院へ。病院から抜け出すことはできなくなりました。

母、母の友人、親戚、私の友人と、どういうわけか私の周囲には苦労人が多く「大丈夫じゃない状況を、子どものために根性と気迫で乗り越えてきた人たち」が身近にいるので、

「大丈夫だよ」
「頑張らなくても良い」
「やりたいことだけやれば良い」

という言葉を発したい人は、相手のタイミングは見てほしいとしみじみ思います。

シングルで苦労して子どもを育てている人に「頑張らなくても良い」って言えます?あるいは「頑張れ」って言えます?

逆の立場だったら、その言葉だけをポンと置いていかれるよりも、『どのようにすれば頑張らなくて良いのか?』を知りたいと思いませんか?

私が「薄っぺらい」というのはそういうことなんです。

私が母に言うとしたら、

今の頑張りは薄めて軽くして、頑張る種類と方向を変えてください。
その男は本当にダメなんです。なにせあなたが他界した後もダメだから。

切ないですけど……。

母はどうするのが最善だったのかなぁ。帰れる実家もない、頼れる人も居ない状況で。

福利厚生のしっかりした会社で働くことは先決だったと思います。借金や学歴などいろいろあったようで、そのあたりも難しかったのかもしれません。

虐待やモラハラ夫という環境があると「マイナスをゼロにする」のが本当に大変です。個人の力でゼロに持って行くよりも、組織や社会の力を利用した方がいいでしょう。

具体的には、財形のある会社に入社して借金を手早く返す、社員寮や家賃負担のある会社に入社する、などですね。場合によってはシェルターや保護施設を探すということも必要でしょう。

でも、母に一番必要だったのは、「この人は私を愛してるのではない。自分のことしか愛していない」ということを受け入れることだったんじゃないかな、と思います。

「頑張らなくて良い」という言葉に説得力を持たせられるほどの頑張りマスター

「頑張らなくて良い」……この言葉を発しても違和感がない人は限られます。

なぜなら、「こんなに頑張った人が言うなら」と思わせるほどの頑張り経験者でないと説得力がないからです。

頑張りマスターの筆頭と言えば、やはりイエス・キリストではないでしょうか。

イエス・キリストは十字架に磔にされたことで天に召されましたが、その三日目に復活しました。

その凄惨な死と再生の経緯があったからこそ、キリストの全てに説得力が生まれたのです。

普通の人が「あなたの罪は赦された」という言葉を使ってごらんなさい。

「はぁ?」ですよ。

キリストだから「はぁ?」とならなかったのです。いや、もしかしたら磔にされる前ならば、内心「はぁ?」と思っていた人もいたかもしれません。

でも、十字架に磔にされてからの「あなたの罪は赦された」を聴いたら、本当に赦されると思いませんか?

「あなた、ぜんぜん頑張ってないでしょ」という人に『もう頑張らなくていいんですよ』と言われても、ちっとも響きません。もちろん、『頑張れ』と言われてもやっぱり響きません。

頑張らなくていい、というのはつまりどういうことなのか?

自分の頑張りがどういう状況なのか?

この辺りがわからないまま、ただ「頑張らなくていい」という言葉だけかけられても途方に暮れるものです。

頑張る「方向」と「種類」を意識する

私が実家から出た日、「我慢して実家に住み続けることを放棄」したのですが、そのためにまた別の「我慢」や「頑張り」が発生しました。

ブラック会社のモラハラから脱出するのも「我慢しなくても良い」「頑張りすぎなくて良い」に該当しますが、他の「我慢」や「頑張り」が発生します。

頑張る場所が違う、頑張る種類が違う、ということです。

そういえば私も一度だけ「もう頑張らなくて良いよ」と言ったことがあるんです。

わが夫が苛烈なモラハラで会社に行けなくなった時です。

布団から出られなくなり、上司と同じ名字の漢字にさえ吐き気を見せる夫に、「もういいよ、なんとかなるよ」

こう言う以外にありませんでした。

この時、勇気や覚悟が必要だったことをよく覚えています。「なんとかなるよ」は、「なんとかならなかったら、私がなんとかする」という決意表明だったからです。

時として、この言葉はとてつもない威力を発揮します。

だからこそ、だからこそ。

この言葉を簡単に使う人に、残酷さや偽善を感じることがあるのです。

「あなたなら大丈夫」

この言葉に救われる人と、突き放されたように感じる人がいるのです。

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