インナーチャイルドの癒やしと和解―何十年も抱えていた防御の癖

何十年ものあいだ、自分を縛ってきた呪いを解く作業であるインナーチャイルド(傷害を負わされた自尊心、と私は表現しています)の癒しは焦らないことが肝要です。

POINTインナーチャイルドあるいはアダルトチルドレンと言われる言葉ですが、
「子ども時代に子どもらしくふるまう」
「yes,noを明言してもよい」
などの権利を、乳幼児から青年期のあいだに著しく傷つけられた経験があることを、私はインナーチャイルドと言っています。

私がインナーチャイルドと表現するときは
傷害を負わされた自尊心
自分を大切にする権利・他者から尊重される権利を著しく傷つけられた経験
を指しています。

虐待や、親が何らかの問題を抱えて親としての役割や振る舞いを果たせていない家庭です。

インナーチャイルドの癒しは薄皮を剥いでいくような作業

インナーチャイルドの癒しは、時にフラッシュバックに苦しむこともあります。

誰かが癒してくれるのではなく「自分で実践していく道」ですから、なかなか労力と根気のいる作業です。

“2歩進んで3歩下がる”

そんなことを積み重ねて、薄皮を一枚一枚剥いていくように、生きやすくなってきます。

潜在意識から『幸せになる』覚悟を決める

潜在意識とは面白いもので、『私なんて、不幸なままの方が都合がいいんだ』と秘かに思っていることがあるんです。

そんなことある?と思われるかもしれませんが、あるんですよ。

例えばこんなストーリー。

実家から早く出たい!と常に思っている30代女性のAさん(会社員)。

サッサと一人暮らしをすれば良いのですが、依存心の強い母親に「お母さん、Aちゃんがいなくなったら寂しい。パパと二人で過ごすのなんてイヤ」などと言われ、優しい性格のAさんは一人暮らしを強行できずにいました。

実は、潜在意識では『一人暮らしをしたらお金もかかるし、家事も全て一人でやらなくちゃだし…今はまだ実家暮らしでいい』と思っていたのです。

つまり、Aさんもお母さんに依存していたということです。

会社の人や友人には「母の依存心が強くて困っていて。このままでは私は実家を出られません。どうしたらいいでしょうか?」と相談していました。

つまり、家を出なくてもいい理由が欲しくて、家を出なくてもいい現実を創り出していたわけです。

潜在意識というものがいかに重要か、それでいていかに『潜っている』(分かりにくい)か、いつもいつも唸ってしまいます。

潜在意識から幸せになる覚悟が決まると、幸せにならない理由を無くすことができます。

「長年に渡って自分を苦しめてきたが、癒やしの道を歩く覚悟を決めた」そんな経験がある方ならば分かっていただけると思いますが、

『幸せになりたいと言ってきたにも関わらず、じつは心の奥底で「私なんか幸せになる価値がない、幸せになってはいけない」と自分で自分を罰し続けてきた』

虐待などでインナーチャイルドが傷つくと、潜在意識にこのような思いが巣くうのです。

うまくいきそうな恋愛を自らダメにしたり(相手を試す、卑屈になる等)、仕事で過剰に頑張ってしまい空回りしたり体調を崩したり。

過去に使っていた防御の癖を手離そう

今はもう使わなくていい『防御の技』があるはずです。

遠い過去、確かにその時には必要な防御方法でした。一生懸命に編み出した防御の技。そうやって自分を守るしかなかったのですよね。

何年も何十年も抱えていた防御の癖。

あなたの苦しみの圧力でカチカチに固められた防御の癖を、優しくそうっと手離す時が来たんです。

そして、あなたのなかでポツンと一人で立っているインナーチャイルドの「親」になる時が来ました。

とうとう、あなたがあなたの親になって一緒に歩む時が来たのです。

あなたはあなたの親になり、あなたはあなたを導きます。あなたはあなたを励ましながら、ともに大人になる時が来たのです。

もう一人のあなたは、過去に使っていた防御の癖にすぐにすがろうとするでしょう。その度にあなたはもう一人のあなたに優しくこう言うのです。

今まであまりにも必死に生きてきたからあなたのことに気づかなかったよ、ごめんね。もう絶対に忘れたりしない。あなたはわたし。一緒にふたりで大きくなろう

インナーチャイルドの癒しの一歩はここからです。

【おすすめの参考書籍】

インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法〔改訂版〕

↑この本を一番読み込みました。ワークについても書いてあります。
本来はグループで行うのが良いようですが、私は一人で行いました。

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

↑自分がされたことにわざと鈍感なり、傷に触れないようにすることは「自衛」のひとつだと思います。もし、一歩進もうと思う時が訪れたら読んでみてください。

また、自分の何気ない言動が「実はこれもモラハラだ」という気づきも得られました。