私は虐待されて育ちました。ニュース記事【子どもの虫歯二極化、口腔崩壊も 経済格差背景か】を読みまして、思い出したことがあります。
『極端な肥満、あるいは不衛生(虫歯や身なり)は、子どもが無言で表現できる数少ないSOSだ』とは、虐待やハラスメント専門の書籍で見かけた文章です。
私も虫歯の多い子どもでした。そして、肥満に苦しみました。
そんな経験から、子どもの身体に現れる「サイン」とその背景について書きます。
目次
子どもの身体に現れるSOSサイン
虫歯に関しては体質(歯の質というのか、口内のアルカリ性などの環境)によるところが大きいので「虫歯=虐待、親の怠惰」という声が上がるのだけは勘弁してほしいと思っています。
また、肥満も同じで、なんでもかんでもすぐに「虐待、親の怠惰、愛情不足」と勝手に責め立てるのはやめましょう。
本人の体質や、それぞれの事情というものがあります。
さて、私についてですが、機能不全家庭で育った私は親に仕上げの歯磨きをしてもらった記憶がありません。おおむね9歳10歳くらいまでは歯磨きの仕上げを手伝ったほうが良いとされているようです。
子どもの身体に現れる「保育者による適切な世話がなされていないのではないか?という証し」に気づいた周囲の大人たちは、どうしたらいいのでしょうか?
体の痣や、あきらかに何日もお風呂に入っていない様子、洗濯されていない衣服……
かつてのわが家のように、見捨てられている家庭も少なくないでしょう。
母が血まみれになりながら逃げた
私の母は、父からの激しい暴力をうけ血まみれになって逃げました。
母が逃げた跡に血がポタポタと落ちており、それは、割れた窓から道路のアスファルトまで続いていました。
窓ガラスは割れ、カーテンが風にひらひらしていました。
私が10歳か11歳くらいの頃だったように記憶しています。
その1年ほど前に、母の親友が夫からの暴力による内臓破裂で亡くなったことが母の頭をよぎったのかもしれません。
母が逃げる前から、わが家は完全に崩壊していました。暴力と経済DVのために夜も働く母。不倫相手と一緒にいるので帰ってこない父。小学生だけの家。
小学5年生の私は、ショックで吐いている弟の世話をしながら呆然とするしかありませんでした。
当時、何を食べて生きていたのか?
歯磨きやお風呂は満足にできていたのか?
このあたりのことは、ほとんど覚えていません。
覚えているのは、
自転車のカゴにたくさんの野菜や牛乳を載せて、重いペダルを漕ぐのは惨めだったこと
生理用ナプキンを自分で買うのは恥ずかしかったこと
ブラジャーの買い方がわからなかったこと
掃除や家事が苦痛だったこと
母親役や妻役を背負わされて、吐き気に似た嫌悪感を抱いていたこと
父の顔色を見て、察知して、毎日を過ごしていたこと
父がぶん投げたどんぶりが弟の頭に当たり、血まみれの弟を自転車に乗せて病院に行ったこ
窓から色々なものを投げ捨てられたこと
モップの金具のところで叩かれたこと
弟が階段から突き落とされたこと
書き切れないくらいの痛み
そして、警察を呼んでも何もしてくれなかったこと
放置された子どもたち
ある晩、弟が高熱を出して激しく嘔吐したことがありました。
泣くことしかできなかった私と弟を助けてくれたのは、灯油を配達する見知らぬ女性でした。
道路にまで私の泣く声が漏れていて、どうしても気になり窓を叩いたのだと言っていました。
私はてっきり母が帰って来たのだと思い、「お母さん!」と窓に駆け寄ったら知らない女の人が心配そうな顔で立っていました。その女性は汚れた布団やパジャマをテキパキと片づけ、しばらく居てくれました。
母が逃げたあと、父と暮らすようになって悲惨さは酷くなりました。
弟が家に灯油をまいて心中しようとしたのはこの後です。
当時は、「私たちはお母さんに見捨てられた」と思わざるを得ませんでした。
インナーチャイルド(傷害を負わされた自尊心)
30歳を過ぎた頃、インナーチャイルド(私は「傷害を負わされた自尊心」と表現しています)の癒しに取り組む機会が訪れました。
POINTインナーチャイルドあるいはアダルトチルドレンと言われる言葉ですが、
「子ども時代に子どもらしくふるまう」
「yes,noを明言してもよい」
などの権利を、乳幼児から青年期のあいだに著しく傷つけられた経験があることを、私はインナーチャイルドと言っています。
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私がインナーチャイルドと表現するときは
「傷害を負わされた自尊心」
「自分を大切にする権利・他者から尊重される権利を著しく傷つけられた経験」
を指しています。
・
虐待や、親が何らかの問題を抱えて親としての役割や振る舞いを果たせていない家庭です。
癒しという響きはどこかしらふんわりしていますが、私の癒しの過程はフラッシュバックに苦しみました。
苦しみながら、無視し続けてきた内なる自分と少しづつ和解していきました。
以前に比べれば反応が緩やかになったとはいえ、虐待のニュースを見聞きすると魂が痛みます。
親を非難しても批判しても、何も解決しません。子にとって加害者である親にも、助けと救いが必要だからです。
けれど、【深い被害者意識、自己憐憫の意識に飲み込まれている人】を助けることは、大変難しいのです。
私の両親ともにインナーチャイルド(傷害を負わされた自尊心)を内に抱えていました。そして私たちはまったくその存在を自覚せず、ひたすら苦しんでいました。
離れて自立し、遠くから幸せを願うことも愛
もし、【深い被害者意識、自己憐憫の意識に飲み込まれている人】が身近にいて、苦しい思いをしているのならば、あなたができることは限られています。
それは、離れることです。
愛している人に、「優しくなってほしい」と望む心情はごく自然なものではありますが、離れるしかないこともあるのです。
こういった被害に遭っている子どもが親から離れられるのは、どんなに早くても成人前後でしょう。(※児童相談所や保護施設などに関わらなかった場合)
しかしながら、こういう親は子どもが親元から離れることを許しません。子どもが自分で幸せを掴もうと努力するのを邪魔します。阻止します。
私は、父には何一つ相談せずに家を出て、後日、「おまえは、一体どこで何をやっているんだ!」と怒鳴られました。
それが私を守る術でした。
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虐待通報について
虐待通報について丁寧に書かれた記事を見つけましたのでリンクを貼っておきます。
虐待されている子どもが、学校や周囲の大人に精一杯のSOSを発信しながらも亡くなる事件がありました。
また、児童相談の機関も人手不足なのだそうです。
はっきり言えば、この状態は日本が抱える闇だとしか思えません。
稀に、インターネットで『あまりにも子どもの泣き声が気になったので、努めて明るく「何かお手伝いできることありますか?お母さん、お疲れでしょう」と声をかけてみたらお母さんが泣き崩れた』というようなものを見かけることがあります。
本来はこういったささやかな親切心がうまく機能すればよいのですが、暴行され亡くなったお子さんのケースでは、このような親切心でもって関わるのはほぼ絶望的でしょう。
私が虐待された子どもでしたので、私の意見ですが警察に通報してほしかったです。
親と別々に住む、ということを望んだかどうかまではわかりません。
子どもは、『親と離れたい』というよりは『親に優しくなってほしい』だけです。
第三者に暴力が明るみになって、それをきっかけに周囲の支援を得ながら変われる親もいるはずです。
どうか、知ってください。
虐待されている子どもにも、虐待している親にも、支援が救いが助けが必要です。
【おすすめの参考書籍】
↑この本を一番読み込みました。ワークについても書いてあります。
本来はグループで行うのが良いようですが、私は一人で行いました。
↑自分がされたことにわざと鈍感なり、傷に触れないようにすることは「自衛」のひとつだと思います。もし、一歩進もうと思う時が訪れたら読んでみてください。
また、自分の何気ない言動が「実はこれもモラハラだ」という気づきも得られました。